制作日記~Kaoru Mizuki

2018 09
08 ← 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 → 10
FC2ブログ
いつの間にか9月に
早いもので2018年も後半3ヶ月目に突入です。8月は母の介護の件などで振り回され、あまり前に進みませんでした。

前回の記事に記しました、リパッティの演奏。CDの封をなかなか切れなかったのですが、1週間ほど前にとうとう切りました。古いピアニストですから、録音も古くはっきりしない演奏もあります。しかし、肝心の音楽はリリシズムに満ちているだけではなく、「今」を意識させる演奏となっています。

彼は夭折の人ですから現代に生きているわけではないのですけれど・・・

それだけではなく・・・我々を非現実の世界に誘ってくれます。今を意識する=現実主義ではないんですね。
つまらない争いなどにベールをかけてくれるのです。


人は苦しめば苦しむほど、現実から逃れたくなります。そのとき、芸術という、何の役にも立たないゴミのようなものを欲する人もいるんです。理屈ではなく・・楽しみたくなる意味を知る人は現状では、数少ないでしょう。
理屈で割り切ることはできない世界ですから、わからないのは当たり前です。

でも手探りで創作者の気持ちと一体化できたり、キラリと光る何かをつかんだとき、喜びに変わるのです。これを癒しというのかもしれないですね。

目に見えたもの、計算できるもので世の中が成り立っているとしたら、楽しくないです。私も大学時代から、芸術とは何か?と考え続けています。あのとき感じたこと・・・芸術は遊びで。学問とは考えたくないなと思ったんですね。それは周囲があまりにも窮屈な音楽を、崇めていたからです。

そんな環境から逃れたくて、実用的な音楽を作ってはみましたが、数十年たち、つまらないことをやっていると気づきました。もしかしたら、自分の中にはそんな部分はあまりなかったのではないか?とも思えてきたのが、2008年頃。

今は全く違う世界に進んでいます。
リパッティのピアノは過去のさまざまなことを思い起こさせてくれます。

それから・・・・クライバーの演奏。youtubeにもアップされているのですが、同じ演奏をCDで聴いてみました。youtubeを聴いて、CDを探したというのが正しいでしょうか?

ブラームスの4番、モーツアルトの33番、ベートーベンのコリオラン序曲をベルリンフィルで。これは彼の生前中、一度だけのライブでした。レコーディングはありませんでしたが、誰かが黙って録音したのでしょう。違法ですので録音記録はありません。ブックレットはなく、曲目と演奏者だけが記されています。

もちろん録音状態はよくありませんが、当時の興奮が迫ってきます。CDを手に入れてよかったと思いました。手に入れたのは、会員制のCDショップです。店主のメールマガジンによれば、このメーカーは年内いっぱいで生産をストップするような気配があるとのこと。

他に、バイエルンでのトリスタンとイゾルデ。こちらも一部はyoutubeに上げてありますが、一部だけではもったいない。

よく、クライバーの指揮姿が美しいという評がありますね。確かに美しいのですが、姿形を見ないで聴くことをおすすめします。音楽に集中すれば、いかに彼が良いものをもっていたか、わかると思うのです。ベートーベンのシンフォニーについては、以前は良いとは思わなかったのですけれど・・・聴き込んでみれば、隠れた声部の強調の意味に共感をもつことができました。

シンフォニーの5番は、コリオラン序曲と共通項があるのではないかと思った次第です。

他に・・・今まで全く興味がなかった指揮者、西本智実さんの演奏を拝聴いたしました。柔らかな音色が好きな方なのではないでしょうか?彼女の演奏を全部聴いたわけではありませんので、結論づけることはできません。5曲ほど聴いてみまして、このような印象を受けました。

お行儀よく、控えめで、普通であるとの印象でして、録音を手に入れたいという積極的な気持ちにはなりませんでした。良家のお嬢様ではないかと感じました。

次回は、リパッテイの自作曲、クライバーの指揮やトリスタンについて書きます。トリスタンのスコア全曲版はもっていなかったのですが、大阪のササヤ書店で手に入れました。懐かしいササヤさん。私が小学生の頃、父が原典版を買い求めに行ってくれたことを思い出します。変わっていなくて、嬉しかったです。





















.
スポンサーサイト
 楽曲分析と演奏 コメント(0)
〜続トロイメライ〜
前回の記事の続きです。譜面がありませんでしたので、理解不能の方もおられたことでしょう。

ある方が、この曲はC-Fで統一されていると分析されておりました。それはそれで正しいと思いますが、狭いみかたであると感じます。

アウフタクトのCからFに歌いかけられ、低音域のFから1度の和声へとつながります。このこだまのような響が全体を統一しているのではないでしょうか?

2barsでは、右手の1拍目裏から2拍目面に、Fの音が連なる。これも重要な要素です。この要素が3barsでは左手につなげられます。→C-Cの八分音符 しかも右手の高い音域では、gabd fgacと同じモチーフが連なる。(言い換えているのですね?)

上記の動機をシンプルに広げてゆき、現実と幻想の世界を行きつ戻りつするのです。

中間部分、譜面データの1:11秒くらいから模倣されている音型は、天から降りてきたはしごのような印象もうけます。夢の世界で遊びながら、現実の世界に戻されそうになる・・・

確かにC-Fがあちこちにでてきていますが、それだけで分析を終えていいものでしょうか?響きや音価、曲調にまで触れることが絶対に必要なのだと思いますよ!

youtubeにホロビッツの演奏がアップされていました。私の感覚と合う演奏だったので貼り付けておきます。
ついでに、譜面もどうぞ。

↓ ↓譜面データ 全く曲調を無視した音楽なので、音符だけひろってみてください



↓ ↓ホロビッツ 「トロイメライ」







 楽曲分析と演奏 コメント(0)
ひらめきと直感
ひらめきと直感とは、全く違うことを表していると知りました。最近亡くなられたホーキンス氏、京大の山中先生などの記事を見ていたところ、ひらめきと直感によって偉業を成し遂げたと、書かれていました。

調べましたところ、ひらめき=顕在意識、直感=潜在意識であるそうです。顕在意識とは目に見えたこと、潜在意識とは目に見えない部分(普段は意識していない)を表しています。

たとえば、1 3 □ 7 9と数が並んでいて、□に入るのは何?という質問があった場合、5という答えが導きだされます。理由は「奇数が順番に並んでいる」からです。このように理屈で説明がつくことを顕在意識とよびます。学習していれば、判断ができることでもあります。

一方、潜在意識とは自分でも説明がつかないけれど、なんとなく浮かび上がってくる事実を指します。この無意識の領域を活性化するためには、長年にわたる修練が必要になるようです。そうでなければ、優れた直感力を発揮することはできない。

将棋、囲碁、スポーツ、科学、そして音楽においても、直感力を鍛えることが最も大切であると思います。前回の記事に記しました、楽曲分析においても、同様です。分析の方法をみて、その方がどんな曲を書いているか、予測できるのではないかと考えております。

外側と内側からのアプローチが組み合わさって、はじめて、曲がわかると言えるのでしょう。そこまで到達するには、
「体験の積み重ね」が必要です。ものの本を読んだだけでは、わかったことにはなりません・・・体験の積み重ねによって、内側が開かれ、他者のことが(音楽ならば曲や演奏)本当の意味で理解できるようになるのでしょう。

前回の記事。トロイメライの分析をされていましたので、読んでみましたが・・・確かにC-Fの組み合わせが中心となっています。しかし、低音域では、F-Cという音の組みあわせが、こだまのように響きます。この組みあわせの上で、メロディが展開されていきます。

頭でFの音が2オクターブ下で重なり、次の和声ではC&Fが1オクターブ下で響く。

C-F F-Cの暗示が、中間部分では別のメロディとなって姿を変え、幻想の世界に奥深く誘い込むように、発展させていく部分もあります。譜例をはっておりませんので、理解し難いものがあるでしょうが・・・

独自の分析をすることができれば、自然と面白い創作ができたり、演奏も変化してくるのではないかと睨んでおります。
音楽だけではなく、考え方も変化していくのではないでしょうか?

次回からは、譜例入りで分析してみます。




 楽曲分析と演奏 コメント(0)
他者の楽曲分析
少し前からアマゾンで知った作曲家のblogをみています。blogのテーマは、クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり-バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、演奏法までも分かる というもの。

数年前に、blogの書籍化が行われたようですね。アマゾンでは、多くの方が感想を書いておられました。私も、blogに伺って、全てではないですが読んでみました。

分析については、私とはみる観点が違いました。わかりやすくいえば、前回に記した、カルロスクライバー 氏とは全く逆であると感じました。わからない方は、クライバー氏の演奏(特におすすめするならば、トリスタンとイゾルデ それから ブラームスのシンフォニーの4番 ですね。他にもたくさん良い演奏を残しています。)を聴いてみてください。

他に、全く逆の指揮者で、わかりやすい方。ベニズエラのドゥダメル氏をあげておきます。

ときどき思うことがあります。たとえば、シューマンのトロイメライ。シューマンはモティーフを埋め込むように、作曲したのか?ということです。バッハを研究し尽くして、ああでもないこうでもないと、操作していったのでしょうか?

ワーグナーのトリスタン。どこかで読んだことがあるのですが、ワーグナーは理屈で書いたものではないそうです。
あの半音階的進行や、エンハーモニック転調は、ワーグナーの心の奥底からわきあがってきたのものだと思います。

私は、(私だけかもしれませんが...)良い曲というのは、理屈ばかりで書けるものではないと思っています!技術や理屈も必要ですけれど、それが表に出てくるようでは、未熟なのではないか?と思うのです。

演奏と創作とは違います。何も知らなくても、良い演奏をする人はたくさんいます。ピアニストのアルゲリッチなぞは、転調なんか全くわからないと、いうことでした。(私は好きな演奏家ではありませんけれど、多くの人の心を揺らせているという点で、名演奏家だと思います。)

きっと生まれつきの何かがあるのでしょうね?

あまりにアカデミックすぎても、人の心に響かないんです。→クライバー 氏がリハーサルの時に似たようなことを語っておられました。

私も同様の意見ですので、冒頭の作曲家の方とは相容れない部分はあると思います。しかし、この方の良いところは、主張を曲げず、堂々と意見を書いておられるところです。誰がなんと言おうと、自分を信じて発信しておられるところです。加えて、素晴らしい演奏家に、自作を演奏してもらっているところですね。

「演奏させてください」と頼まれたとしても、ご自身の感覚や完成度に合わない人ならば、お断りになるような方ではないか?と推測いたしました。

そういう意味で、非常に刺激を受けました。自分の作品は自分の思うレベルの演奏家、もしくは全て自分で責任をとらなければ、良いものはできてこないと強く思いました。

このことに気づかせていただけて、良かったと思いました。
 楽曲分析と演奏 コメント(0)
メシアン「20のまなざし」オペラシティ
6日、楽しみにしていた「20のまなざし」(メシアン)を、エマール氏のピアノで聴いてきました。エマール氏の演奏はだいぶ前に、CDで聴いていましたが、人間シーケンサーといえるような精緻なものでした。そのときに買い求めたCDの印象とは、だいぶ違っており、ダイナミックに変貌を遂げておりました。

ちなみにメシアン氏は、私が学生の頃、芸大にいらしたことがありました。その頃は最も注目されていた作曲家で、「わが音楽語法」という本も、売店にたくさん並んでいたほどでした。

20のまなざしも、その当時はやっていまして、譜面を買い求めましたが、その譜面が今は何処かに消えてしまい、これを機に、買い直そうと思っています。ただ、その当時の私は「20のまなざし」は好きではなかったです。独特の色合いに、拒否反応を示しておりました。

また、音楽を学問として位置付ける考えが嫌いで、(今でも同じです!!)拒否反応を示し続けた時期でして・・・現代作品からは遠ざかるべく、皆さんとも話そうとは思いませんでした。この分野を手掛けていれば、人生を棒にふるのではないか?とも考えていました。要するに、皆さんとは価値観が違ったわけです。

さて、今回の演奏と曲、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。特に後半、65分間は、前半の50分より、短いと感じられるほどの充実ぶりでした。最後の方で、弦が切れるアクシデントがありましたが、モノともせず・・・18 20 曲目などは、訴えかけられるものが大きかったです。

私、初めてこの曲の魅力がわかりました。曲と演奏を通じて、信じることの強さを感じました。私は宗教は嫌いだったのですが、西洋占術の師が神学に詳しく、(出身大学に神学の授業があったそうです)多少なりとも影響を受けたせいか、この曲の根底にあるものも少しは理解できるようになったのかもしれません。

メシアンの人生=自然との調和だったのではないかとも考えています。そういう面で、昔の自分とは相容れなかったのでしょう。しかし、オーフィアスを創作するために、様々な勉強をしたことで、彼の根底にあるものを1%程度つかめるようになったかもしれません。

それでも99%は、血が違うと感じました。お手上げ状態といいましょうか・・・彼は別格なんだと思いました。とても太刀打ちできないということもあり、雷に打たれたようになったんです。

メシアン氏の母は、メシアンを身ごもったときに、「この子は音楽家になる」と預言したのか?天からの声を受けとったか?ということ、どこかで見た覚えがあります。ちなみに、メシアン氏は射手座です。射手座=宗教、哲学のサインです。

上に記したことが、本当だと感じられるような、激しい祈りのような演奏でした。今でも感激が冷めやらないほどです。

会場の件。現代曲の割には、お客さんは多かったと思います。普通の現代音楽の演奏会だと、ガラガラで、リラックスできるのですが、狭くて窮屈でした。CDもたくさん売れたと思いますよ。サイン会の列が長かったです。私もCDを入手しようと思いましたが、あまりにも人が多く、諦めて帰りました。>昨日売っていたものは、すでに完売らしいので、一縷の望みを託して、探してもらっています。

老若男女、大勢の方がスタンディングオベーションでした。あれだけの大曲を、弾ききることは普通はできません。多くのピアニストによって演奏されている楽曲ですが、リサイタルで全曲というのはあまりないこと。しかも、メシアンのおおらかで自由度の高い思想が、反映されていたと思います。同時に、信じることの強さが、ダイナミックな打鍵を通して伝わってきました。

私も時間に縛られず、感動に身をまかせる時間こそ必要なのだと感じました。今まであまりにも、雑用が多すぎました。

この演奏会は、天からのプレゼントだと思い、また一歩づつ歩みを進めていきます。








 楽曲分析と演奏 コメント(0)