制作日記~Kaoru Mizuki

2018 09
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「オーフィアス組曲」
音楽と文章からなる作品、預言物語「オーフィアス組曲」を制作中です。キャラクター(動物たち)が現実と幻想の世界(生と死)を行き来します。キャラクターを通して、生きることの意味を追求するストーリーです。

生きることに意味はあるのでしょうか?みなさんはどうお考えになるでしょう?生きることに意味づけする必要があるかどうかは、私にはわかりません。

人の思いとは別に、自然は采配をふるい、喜びや悲しみをつれてくる。不条理な結果であっても、条理につながることすらある。人にとっては畏怖であっても、自然にとっては無為なること。生きとし生けるもの全ては、自然の流れにそっている。

このように無力で、無知なる存在のひとつが、われわれ人間であるのです。

登場するキャラクターは全て動物であり、擬人化されております。擬人化の意味がわからないと以前ご質問を受けたことがありますが、それは2009年に亡くなったあるぬいぐるみ作家の存在があります。彼女、故宮島登志子さんは才能溢れる作家で、これから独自の作品を作ろうとなさっていた矢先に、53歳の若さで亡くなりました。彼女が若いときに制作したうさぎたち、また死の直前、水のみで生き、痛み止めを打ちながら作った猫たち。彼、彼女らに息を吹き込み、生き物にすることで、亡くなった登志子さんの思いをつないでいけたらと、思いました。

彼女が亡くなる二ヶ月前、お電話で一度だけお話しました。「私はもう長くはありません。猫さんはいりませんか?生みの親より育ての親と言いますから。」などと話されておりました。

上記のような出来事を礎として、創作に着手しましたのが2011年。2013年〜2017年秋までは、創作活動を休止せざるを得ない困難が幾度となく、起きました。しかし偶然の成り行きにより、2017年末、創作復帰のきっかけを得ました。

現在は2018年5月。約7年にわたって積み上げたさまざまなモノを、お披露目するべく、具体的に進めている最中です。過去に幾度となく、このサイトで「今年は出しますよ ・・・・・」とつぶやいておりましたが、どうしても叶わず、このまま創作から遠ざかっていくのではと、覚悟していた時期もございました。

やはり、努力しようとしても、足掻いたとしても、「時」が味方しなければ遅々として進まないことを、実感しております。

今年は1章の「春雷」の楽曲を形(譜面や音)にし、外に出していきます。(過去には6章全てを一気に出そうとして、思い悩んでおりましたが、今後は章ごとに、ゆるやかなペースで出していきます。)お披露目の際には、記事としてアップいたします。

2018年11月24日、品川の天王洲におきまして、オーフィアス組曲中の1曲(ピアノ曲)が、演奏されます。長きにわたって、開店休業状態が続いておりました創作活動に、ピリオドが打たれましたことを、嬉しく思っております。(この音源については何らかの形でご紹介する予定です。)

その後も様々な計画があります。緩やかな歩みですが、世に広めていくための努力を惜しまず、活気をもって展開していきたいと考えています。



今後ともよろしくお願いいたします。

























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 オーフィアス組曲 コメント(0)
少し休憩
ここのところ、ばたばたしておりました。9月中旬前に、母の介護施設入所が突如として決まりまして、ほっとしております。4月〜9月初旬まで、体力と時間を削って、「食べられるうちにおいしいものを」といった思いで、料理や買い物に勤しんでまいりましたが、これも一段落です。

できうる限りのおいしそうな材料を買い求めて、母の自宅まで出向いて、泊まりがけでやりましたが、良かったと思います。それでも作品は一歩進めることができました。ただ、ゆっくりと腰を落ち着けて仕事を構築していくことは、今後の課題です。

なんでもいつでもできるわけではなく、必要な時期があります。2018年4〜9月はそういう時期だったと思います。

ばたばたしながらも、リパッティのオリジナル曲を聴いたりしておりました。彼はきちんと作曲を勉強した人です。
手癖でアルペジオをかき鳴らしたり、メロディがあるようなないような曲を書いているようなレベルではありません。ただし、33歳で亡くなった、夭折の人。

表現活動を進めようとしても、体力が追いついていかなかったのでしょう。人によっては、聴くべき曲ではないと酷評している人もいます。完璧な無調性ではないなどと、調性のみで判断しているよくわかっていない人もおられるようです。

私は清新な作品だと思って毎晩聴いています。加えて、バッハ、ショパンなども聴いています。音の一つ一つが崇高で、ご自身の人生と相まっているような、そんな印象です。他にはこんな方いないでしょうね。だから良いと思っているのですが・・・

左手のためのソナチネルーマニアンダンスなどは愛聴しております。続きはまた後ほど。


 ピアノ コメント(0)
いつの間にか9月に
早いもので2018年も後半3ヶ月目に突入です。8月は母の介護の件などで振り回され、あまり前に進みませんでした。

前回の記事に記しました、リパッティの演奏。CDの封をなかなか切れなかったのですが、1週間ほど前にとうとう切りました。古いピアニストですから、録音も古くはっきりしない演奏もあります。しかし、肝心の音楽はリリシズムに満ちているだけではなく、「今」を意識させる演奏となっています。

彼は夭折の人ですから現代に生きているわけではないのですけれど・・・

それだけではなく・・・我々を非現実の世界に誘ってくれます。今を意識する=現実主義ではないんですね。
つまらない争いなどにベールをかけてくれるのです。


人は苦しめば苦しむほど、現実から逃れたくなります。そのとき、芸術という、何の役にも立たないゴミのようなものを欲する人もいるんです。理屈ではなく・・楽しみたくなる意味を知る人は現状では、数少ないでしょう。
理屈で割り切ることはできない世界ですから、わからないのは当たり前です。

でも手探りで創作者の気持ちと一体化できたり、キラリと光る何かをつかんだとき、喜びに変わるのです。これを癒しというのかもしれないですね。

目に見えたもの、計算できるもので世の中が成り立っているとしたら、楽しくないです。私も大学時代から、芸術とは何か?と考え続けています。あのとき感じたこと・・・芸術は遊びで。学問とは考えたくないなと思ったんですね。それは周囲があまりにも窮屈な音楽を、崇めていたからです。

そんな環境から逃れたくて、実用的な音楽を作ってはみましたが、数十年たち、つまらないことをやっていると気づきました。もしかしたら、自分の中にはそんな部分はあまりなかったのではないか?とも思えてきたのが、2008年頃。

今は全く違う世界に進んでいます。
リパッティのピアノは過去のさまざまなことを思い起こさせてくれます。

それから・・・・クライバーの演奏。youtubeにもアップされているのですが、同じ演奏をCDで聴いてみました。youtubeを聴いて、CDを探したというのが正しいでしょうか?

ブラームスの4番、モーツアルトの33番、ベートーベンのコリオラン序曲をベルリンフィルで。これは彼の生前中、一度だけのライブでした。レコーディングはありませんでしたが、誰かが黙って録音したのでしょう。違法ですので録音記録はありません。ブックレットはなく、曲目と演奏者だけが記されています。

もちろん録音状態はよくありませんが、当時の興奮が迫ってきます。CDを手に入れてよかったと思いました。手に入れたのは、会員制のCDショップです。店主のメールマガジンによれば、このメーカーは年内いっぱいで生産をストップするような気配があるとのこと。

他に、バイエルンでのトリスタンとイゾルデ。こちらも一部はyoutubeに上げてありますが、一部だけではもったいない。

よく、クライバーの指揮姿が美しいという評がありますね。確かに美しいのですが、姿形を見ないで聴くことをおすすめします。音楽に集中すれば、いかに彼が良いものをもっていたか、わかると思うのです。ベートーベンのシンフォニーについては、以前は良いとは思わなかったのですけれど・・・聴き込んでみれば、隠れた声部の強調の意味に共感をもつことができました。

シンフォニーの5番は、コリオラン序曲と共通項があるのではないかと思った次第です。

他に・・・今まで全く興味がなかった指揮者、西本智実さんの演奏を拝聴いたしました。柔らかな音色が好きな方なのではないでしょうか?彼女の演奏を全部聴いたわけではありませんので、結論づけることはできません。5曲ほど聴いてみまして、このような印象を受けました。

お行儀よく、控えめで、普通であるとの印象でして、録音を手に入れたいという積極的な気持ちにはなりませんでした。良家のお嬢様ではないかと感じました。

次回は、リパッテイの自作曲、クライバーの指揮やトリスタンについて書きます。トリスタンのスコア全曲版はもっていなかったのですが、大阪のササヤ書店で手に入れました。懐かしいササヤさん。私が小学生の頃、父が原典版を買い求めに行ってくれたことを思い出します。変わっていなくて、嬉しかったです。





















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 楽曲分析と演奏 コメント(0)
ネットの時代
今はネットなくして発展性はありませんね。ネットでの宣伝活動が必要と思い、勉強をはじめました。
一人でやっていても、ラチがあかないと思い、時間を有効利用するためにも、副業として請けてやっています。

副業をすることで、知識が身につくことはありがたいです。そのうち、このblogとHPに連動する形で
新たなブログをはじめます。今度は無料blogではなく、完成度の高いものを作っていきます。

個人的に潤いをもって生きていくには、人から与えられた仕事だけではやっていけない時代だと思っています。
自分に向いたことをみつけて(私の場合は創作活動ですが、これだけで十分な収入を生むことはありえません)、価値を高めることによって、自分の思うような財を得ることを目指しています。

少し前の記事にもありましたように、数千円のために何時間をも費やすことは終わりにしました。金銭感覚といいましょうか、お金に対する恐れを無くしていかない限り、良いことはないと思っています。

経済の本には、自己投資が大切だとあります。溜め込んでばかりいて、使わなければ貧乏になるよ、と。
無駄遣いはいけませんけれど、本当に大切なことには惜しみなく使うこと。

今は創作を世に展開するには、具体的にどのように動けばいいのか、大雑把な計画しかありません。この大雑把さを、細かく噛み砕いて、具体策を出していく時期にきています。

具体策を練って実行することは、自分の価値を認めることにつながっていきます。人のいいなりでは全て良くない方向に進んでいきます。エスカレーターの下りを駆け上がっているようなものです。

今までは多分にそういうことがありましたので、心して中断し、人生を変えていくことにしました。

音楽面では今までと変わらずやっていきます。これはもう大学時代から考え方は変わっていませんので・・・
次回は再び、クライバーやリパッテイのことやら書きます。



 その他 コメント(0)
オーフィアス組曲、絵をつけることになりそうです。

2009〜2010年に創作にとりかかり始めたときは、絵もつけるはずでした。しかし、紆余曲折があり、絵の話はなくなってしまい、音楽と文章のみでやっていくことにしたのでした。

ところが・・・
最近になりまして、オーフィアスのテーマと同様の絵(破壊と再生)を描いておられる、アーティストと巡り会いました。正確には、2016年に出会った方です。その当時は私も別のジャンルを極めようとしており(西洋占術)いまのような方向に話が進むなど、夢にも思っていませんでした。

偶然が偶然を呼ぶということ、私は今までに何回か経験しています。今回もその一つとしてカウントできると、信じています。

生きる上で最も大切なことは、チャンスをつかむことだと思います。今回もお互いの飛躍に向けてのとっかかりとなるのではないか?と鍵穴から未来をのぞいているような印象を受けています。

暗い中に、一筋の光がさしこんでくるような、そんな印象です。

私の予測では、2019年あたりからのスタートになると思っています。

それはともかくとして・・・
私に限っては、計算づくや積み上げていくことは向いていないと思えてきました。過去にも飛躍の時には、あれよあれよという間に、物事が進んでいきました。努力はしていたのですけれど、その努力をし尽くしてお手上げ状態になったときに、向こうから良いことが押し寄せてくるというのでしょうか・・・

2018年のいまは、自分の中に芽生える何かを確認しています。2019年に向けての準備の時なのでしょう。楽しみになってきました。





 オーフィアス組曲 コメント(0)